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2010年5月2日礼拝メッセージ『ここに私がおります』

イザヤ書6:1〜8

私たちの人生に必要なのは、新鮮な神様の命です。
神様は、聖霊様を通してあなたに親しく接し、神の命を注ぎたいと願っておられます。
切に慕い求めることを先週学びました。
どうして切実に慕い求めるのですか。
私達の中に罪があるからです。

神様は、あなたの涙を無視することはありません。
神様は、慕い求める者の心に聖霊様を遣わし、あなたの信仰を見ておられます。


イザヤは、イスラエルが北王国と南王国に分れている時代に生きた神の預言者で、北王国イスラエルが、アッシリヤに滅ぼされた時代の人物です。

イザヤという名前は「ヤ―ウエ(神)は救い」という意味です。

エルサレムは紀元前587年に至るまで最終的には滅亡しなかったのですが、イザヤの時代に、イスラエルはすでに立ち直れないところまできていました。道徳的堕落、社会的不正、また宗教的偽善に満ちて、やがて、アッシリヤに捕囚されます。

神様はイザヤを起して、将来、イスラエルが再建されることも預言しています。

イザヤ11:11〜12の御言葉はこのことを預言しています。
イスラエルは西暦70年にローマ帝国によって滅ぼされ、世界中に散らされた民族となります。1948年5月14日にイスラエルという国が建国されました。

今日読んだ6章は、イザヤが神殿において栄光の中で見た、最初の神の幻で、イザヤのその後すべての働きに影響を与えています。

1、 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
2、 セラフィムがそのうえに立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔を覆い、二つで両足を覆い、二つで飛んでおり、
3、 互いに呼びかわして言っていた。
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
その栄光は全地に満つ。」


アーメン

このイザヤが見た幻は、黙示録でヨハネが見た幻の光景と類似しています。
すなわち、天の御座の光景です。

セラフィムは天使です。
天では、天使達が、呼び合って24時間主を賛美しています。
黙示録によると、24人の長老が御座の周りに座っています。
この天の御座の光景の絵を昨年皆さんに見せました。

このイザヤの時代にはイエス様は、地上に来ていませんでしたから、この御座におられました。
現在は、地上の業を終えてこの御座に着座されています。

私たちが、やがて行く場所ですから、よく知っておいてください。

4、 その叫ぶ者の声のために、敷居の基は揺るぎ、宮は煙で満たされた。

天の御国の宮は、この天使達の主を賛美する合唱で、敷居が揺らいでいたと書かれています。次に煙は、臨在です。
臨在で満ち溢れているところが天の御座です。


アーメン

5、 そこで、私は言った。
   「ああ。私は、もうだめだ。
    私はくちびるの汚れた者で、
    くちびるの汚れた民の間に住んでいる。
    しかも万軍の主である王を、
    この目で見たのだから。」


イザヤは、天の御座におられる主を見たと同時に、自らの人間の罪深さをも同時に見たのです。
ああ。もうだめだ!!
この言葉は本当に正直な言葉です。
主の顔を見たならば、立っていることは出来ません。
しかも、千千万万の天使達が、主を賛美している光景が、あまりにも、すごい力を持っていて、御座の基が揺さぶられていたのです。


イザヤ自身が圧倒され、ただ、主の前にひれ伏す以外に自らを処することが出来ない状態になったイザヤの姿は、主の前に出る者すべてが取る態度であるのです。

6、 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、      祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
7、 彼は、私の口に触れて言った。
  「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、
   あなたの不義は取り去られ、
   あなたの罪も贖われた。」
8、 私は「誰を遣わそう。誰が、我々のために行くだろう。」と言ってお   られる主の声を聞いたので、言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」


聖霊の火が下り、主の召しの声に、イザヤは「ここに私がおります。私を遣わしてください。と答えます。

私は、小学校1年の時に牧師さんになりたいと思いました。牧師がどういう存在か何も知らない時代でしたが、あこがれたのです。当時教会へ行っていた東京世田谷にある中原教会の木村義夫牧師先生のようになりたい。そう思ったのです。牧師という言葉も知らなかったので、正確には木村先生のようになりたい。と木村先生の姿を見続けてきて、そう思ったのです。子供心に先生を尊敬していました。見続けてというのは、私は、物心付いた時には、父に教会へ連れられて行っていたので、私の記憶のはじめは教会なのです。

時代を経て、関東学院大学神学部に入学する時に、「私の召命感」という作文を提出するのですが、その原稿の御言葉は、このイザヤの召命の御言葉を引用しました。「私がここにおります。私を遣わしください。」この御言葉は私の献身者の生涯を貫いていく御言葉となっています。


イザヤは、御座を見た時に、自分の姿を見て、徹底的に自分の無力を感じ取ったのです。その姿を見た神様は、天使を遣わしてイザヤのくちびるに触れました。

愛するみなさん

神様は、自分が無力であることを深く自覚した時に触れられます。
祈りが深まっていきますと、自分がいかに無力であり、未熟であり、至らない者であることを知るのです。自分の中には良いものがないことを知って、悔い改めて主に触れられて、主によって良きものが与えられ、主によらなければ生きれないことを深く自覚するのです。

イエス様の十字架の贖いのゆえに生きていることを自覚します。

聖霊様の油と臨在に触れない人生は空しいことを深く自覚する者になってください。
人生は素晴らしいのです。
イエス様の御名のゆえに素晴らしいのです。
素晴らしい人生を主は用意しています。
用意されている人生を見つけ出してください。

アーメン

イザヤは最悪な時代に神様から遣わされました。
最悪の時代に、イザヤは誰も味方がいないそういう状況の中で、神の言葉を勇敢に語りました。

私たちの生きているこの時代も、悪い時代です。これからもっと最悪になって行きます。反キリストが現れ、偽預言者が横行します。終末の時代です。

みなさんには、幸いなことに、助け人がいます。
聖霊様と教会の群れの人々がいます。
ですから、勇敢であってください。

イザヤは最悪の時代のさ中。
最悪の年に、神様は天の門を開きました。
神様の栄光が訪れました。


あなたの人生に戦いが多くあっても、あなたの人生に神様の栄光が現わされます。
あなたの人生が最悪と思える時に神様は動かれます。
あなたが、神様の使命を自覚させるために動かれます。
あなたには、神様が託した使命があります。

それはどういう使命でしょうか。
この世で、あなたが求められています。
この最悪な時代に、あなたを用いられる具体的な使命はどういうものかを、祈ってください。

「私がここにおります。私を遣わしてください」
と主に答えるような信仰を持ってください。

人生には多くの試練、困難、山と積まれた問題の壁があるのですが、
主が、そうせよと言われたならば、従順するだけです。
主は、従順する者に祝福を与え、あらゆる問題は解決されます。

奇跡が起きます。
山は動きます。
からし種一粒の信仰があれば、山は動くとイエス様は言われました。

主は、言われます。
私を信じるか。と。

はい主よ。私は信じますと答える者でありましょう。

アーメン

モーセは、40年間エジプトの王宮で育ち、40年間羊飼いとして生き、後の40年間エジプトの民をカナンの地へ導く働きを神様は命じました。
神様は、モーセを80年間、練って、偉大な働き人として用いました。

モーセは自分がそのような偉大な働きに着くことなど考えるたこともなかったです。
出エジプト記3:10〜14
10、 今行け。私はあなたをパロのもとに遣わそう。私の民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。
11、 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」
12、 神は仰せられた。「私はあなたと共にいる。これがあなたのためのしるしである。私があなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出す時、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。
13、 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人の所へ行きます。私が彼らに、『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。
14、 神はモーセに仰せられた。「私は『私は在る』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『私は在るという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。


アーメン

モーセが偉大な指導者となるまでには、モーセ自身が戸惑い、あわてるような、そういう体験をしながら、だんだんと大きな神の人になっていくのです。

モーセも、霊的段階を一歩一歩上っていく姿をこの御言葉から見ることが出来ます。

ペテロは、一介の漁師でしたが、イエス様とお会いして、『私についてきなさい。あなたを人間を取る漁師にして上げよう。』という言葉に従順しました。
ペテロはその後、何回も失敗をしながら霊的段階を一歩一歩越えて、成長して行きました。
使徒2章のペンテコステの火を受け取り、力強い伝道者になって行きました。

あなたも同じです。
霊的段階を一歩一歩上って行くのです。

あなたは霊的に成長します。
あなたは霊的スピードを増したり、減速したりしますが、成長します。
信じて歩むのです。
信じて歩む者は勝利の人生を歩みます。
あなたがその人です。

ハレルヤ

私たちは、イエス様が示された愛を追求するならば、人間として正しい役割を果たすことが出来ます。

私たちは、神様の愛を追い求め、実現していく者です。
あなたの内側に住まわれている聖霊様と共に求めていくのです。
聖霊様なしには、霊の領域を見ることが出来ません。
主の臨在の中で自分が人間として本来ある姿になっていくことが出来ます。


アーメン

愛するみなさん

霊的領域の中に生きることは素晴らしいことです。
聖霊様の中に生きることが出来たなら、もう最高の人生です。
聖霊様なしの人生は何と空しいこでしょう。

心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして神様を愛することは。神様の命令です。
自分を愛するように隣人を愛することも、神様の命令です。


この二つの命令が、イエス様が守るべき律法であると言われました。
この二つの命令を、人生の戒めとするならば、聖霊様が必要です。
聖霊様によって、はじめて主の人生を歩む者になります。

あなたは、神様にとってかけがえのない存在です。
神様は、あなたをそのように思っておられます。

アーメン

マザー・テレサは神様の召しに答えて献身しました。
最初は、カトリックの修道院でしたが、
自ら選らんで、インドのもっとも貧しい地へ向かいました。
彼女にあったのは、神様の愛です。
神様は、彼女に強い意志力と識別力を与えました。
彼女は、神様の力によって動いたのです。
聖霊様の力に動かされていたのです。

マザー・テレサの詩を紹介します。

愛の光線

主よ。お助けください。

私がどこにいても
あなたの香りをただよわせますように。
あなたの“霊”と“いのち”で
私の心を満たしてください。
私のいのちがことごとく
あなたのいのちの輝きとなりますように。

主よ。あなたご自身が
私の存在を完全に支配してください。
私の接する人々が皆
私の中にあなたの現存を感じとれますように。
私を見る人が私ではなく
あなたをこそ私の中に認めますように。

主よ。私の中にとどまってください。
そうすれば私も
常にあなたの栄光をこの身に反映させ
兄弟姉妹の光となることが出来るでしょう。


彼女がカトリックであっても、主の愛に生き通すことに、人生のすべてを捧げた姿を、私たちは学ばなければなりません。

最初、彼女にはわずかなお金しかありませんでしたが、主が、従順するその姿を見て、お金を与え、その働きを支えたのです。

聖霊様は、人を用います。
霊の感動を捧げる人に注ぎ、四方八方からお金が届いたのです。


主は、そういうお方です。
あなたの信仰を見ておられます。

旧約の時代のイザヤもモーセも、新約の時代のペテロも、現代のマザー・テレサも、神様が選んだ器ですが、あなたにも同じように生きることが出来ます。

その条件は、主に従順する信仰です。

アーメン

私たちは、私たちの感情を、神様を愛することに心を定めるのです。
神様を愛することに、自分の心の感情を結び付けるのです。

ヨシュア記2章にラハブのことが書かれてあります。
ヨシュアはエリコに入る前に、エリコに二人の斥候を送り、ラハブの家に泊まりました。
エリコの王は部下をラハブの家に行かせます。二人の者がお前の家に入ったことを知っているぞ。その二人を出せと言ったのです。
ラハブは家に匿っていましたが、
その人たちは暗くなって、門が閉じられるころ出て行きました。さあ。急いで後を追ってごらんなさい。と答えたのです。
ラハブは窓から、綱で二人をつり降ろして助けました。

その時にその窓に「赤いひも」を結びつけたのです。

ヨシュアがエリコを攻撃する時に、ラハブとその家族だけは助けなければいけない。あの女は私たちの送った使者を匿ってくれたから。と命令を出しました。
このラハブが「赤いひも」を窓に結んだことによって、ヨシュアの部隊が分るようにしました。

愛するみなさん

神様とあなたの関係は、このラハブが窓に「赤いひも」を結んだように、あなたの心の窓に、赤いひもをつけて、私はここにおります。と目印をつけておくのです。

モーセがエジプトから出る前の晩に、イスラエルの民の門柱に「羊の血」をぬって、死の霊は通り過ぎて行きました。

これも目印です。

あなたは、どのような目印をつけたら良いのですか。

あなたの部屋に十字架を置くと良いです。

霊的目印は、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして主なる神を愛する。こと。
「自分を愛するように、隣人を愛すること」
この信仰が霊的目印です。

この目印は、あなたの現実的な才能、お金、体力、言葉を使って神様を愛することです。
神様は霊ですから、霊の部分はすぐに分ります。

アーメン

マタイ19:30
30、先の者があとになり、あとの者が先になる。
マタイ20:27
27、あなたがたの間で、人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。

愛するみなさん

自分が先になってはいけません。
神様にはあなたの計画を持っておられます。
私たちは「空の器」です。
その器は油が注がれる器です。
自分の考えを先に入れると、神様がなさる計画が自分ではばんでしまいます。
従順するということは、自分の考え、思いを先にしてはいけないということです。
あなたは、神様の計画の上に歩んでいるのです。
ですから、自分を先にしないで、神様を先に器に油を入れていただいて、すなわち、神の計画が現れた時に、それに自分の思い、考えを入れるのです。
これは、本当に大切なことです。

あなたの人生が素晴らしくなるか、ならないかの条件です。


人間は先に立ちたいという欲望があります。
先に行こう。
あの人よりも先に。と欲望が広がるなら、神様はあなたを打ちます。
私たちは、仕えるために存在しています。

イエス様も言われました。

マタイ20:28
28、人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである。

アーメン

神様を愛することが出来るように、人々を励まし、人々をイエス様に導くためにあなたの与えられたすべてを注ぎ込んでください。

自分の世界を築くよりも、他の人々の領域を築くことに熱心であってください。

マザー・テレサは、一番危険な場所に、女一人でわずかのものを入れた小さなカバン一つで、出て行きました。

聖書に書かれてある人々も、この歴史上で主の働きをした一人一人は、みなあなたと同じ人間です。

どこも変わるところがありません。
「私がここにおります。私を遣わしてください。」

この使命感豊かな御言葉を、あなたのものにしてください。

人間の目には不可能と思えることも、神様にとっては可能なのです。
信じて歩む人生を選び取ってください。




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