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2010年4月18日礼拝メッセージ『一人のたましいに心を傾ける』

ルカ10:25〜37

説教は常に人生に焦点を置かれています。
信仰は、私たちの人生に変化をもたらさなければなりません。
聖書の知識を解説するのではありません。
人生を追求するために、御言葉に聞くのです。
創世記から黙示録まで、すべて理解しなくてもよいのです。
人間は一生かけても、聖書の学びが完成することはないからです。

大切で、重要なことは、イエス様を信じ、イエス様の中に生きることを通して、あなたの人生が変化することです。
御言葉の内容が少しでも理解出来たならば、御言葉を実践していかなければ意味がありません。

知ることは、行うことと同じです。

どのように人生を変えるか。
牧師の説教の焦点はいつもここにあります。


人生が変わることは、神様の愛がなければ変わることはありません。
私の人生を変化させているのは、神様です。
神様の愛があって、その愛によって、私たちは変えられていることを知って下さい。

パウロは、愛がなければ、うるさいシンバルのようだと語りました。

愛するみなさん。
教会で仲良く、霊に満たされて最高の顔をすることは素晴らしいことですが、家に帰ると、まったく違う顔になってしまうならば、それは、偽りです。


先週の木曜に東京第一キリスト教会の聖会に行って来ました。

そこで、講師の牧師が証しされていました。
一人の教会の執事がいました。彼は教会で多くの奉仕をし、十一献金もして、誰からも信頼されていましたが、ある日、奥様から電話がかかってきました。

牧師先生。主人は家の帰ると、別人のようになります。食事がまずいと言っては、もう一度、作り直させたり、いじめます、好き放題をするのです。どうしてでしょうか。教会では、あんな善良な人思われていますが、それは、偽りです。
日本の教会でも、おうおうにしてあることです。それは偽りです。
それは、クリスチャンの姿ではありません。

今日は、良きサマリヤ人のたとえを通して、御言葉を伝えます。

ルカ10:25〜29
25、すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生。何をしたら永遠の命を自分のものにして受けることが出来るでしょうか。
26、イエスは言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。
27、すると彼は答えて言った。『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、知性を尽くして主を愛せよ。』
また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。
28、イエスは言われた。「その通りです。それを実行しなさい。そうすれば命を得ます。
29、しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、誰のことですか。」
イエスは答えて言われた。


この御言葉は何回も学びました。

イエス様は最も重要なこととして、モーセが神様から与えられた十戒の一つを取り上げたのではありませんでした。
そうではなく、
私たちに与えられている、最も偉大で最も価値のあることは、主を愛し、互いに愛し合うことだと教えたれらのです。

私たちは、愛の王国を築き上げるために携わる人生であると言っています。


律法学者は、イエス様を試すために、質問をしたのです。
イエス様の歩みは、こうした人々から試され続けています。悪魔からも試みを受けています。

私たちの人生で、試みに会わない人生はありません。
サタンはいつもあなたに照準を合わせています。
誰ではない、あなたです。
あなたの人生を、神なき人生にいつも誘い込もうとしています。

あなたが、聖霊様との交わりが深くなればなるほど、敵の攻撃は激しくなります。様々な方法を持って、あなたに、神を信じる信仰なんか空しいものだ。
神を信じて、何かよいことがあったか。
あるいは、神様が示す方向ではない道に引きずり込むのです。
汚れの霊が襲って来ます。
偽りの霊が襲って来ます。
御言葉を読めなくさせます。
祈りを妨げます。
まだまだ、様々な方法であなたを、神の前から引きずり下ろすことをたくらんでいます。
注意しても。注意しても侵入するのがサタンです。
私たちの心のどこかに侵入される「すき」があることを知っていなければなりません。
霊的武装をしてください。


牧師はまた預言を頂きました。

あなたが辛い時、私に求めさない。
あなたが荒野の中で一人ぼっちにいるような状況にあっても、私を求めなさい。
私は、あなたに一人の人を遣わす。
私は、あなたに山を動かす力を与える。
私は、あなたに病人を癒す力を与える。
悪霊を追い出す力を与える。
私の中に留まり、私に頼りきりなさい。
私に委ねるなら、私は、あなたに大いなる奇跡の人生を与える。


テープに納めていないので、だいたいこのような内容でした。
東京第一キリスト教会の聖会の木曜の帰る時でした。

30〜37を続けて読みます。
30、イエスは答えて言われた。
「ある人が、エルサレムからエリコへ下る途中で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
31、たまたま、祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。
32、同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
33、ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼お見てかわいそうに思い、
34、近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
35、次の日、彼はデナリふたつを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱して上げて下さい。』もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。
36、この三人の中で誰が、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。
37、彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも同じようにしなさい。

アーメン

第一番目に彼に会った人物は、祭司でした。

祭司は、イスラエルではレビ部族の者が祭司になることが出来ました。祭司は幕屋でいけにえを捧げ、契約の律法を教えるのが主な働き、仕事です。

幕屋に置かれている契約の箱は示聖所にありました。まさに神様が天から火となって下り、住まう場所です。
祭司は、その重要な神の働き人です。
祭司は神のことを教えていたのです。

彼の心は、倒れたサマリヤ人を見て何を感じたのでしょうか。
彼は、道の反対側に行って、彼を見たのですが、見ないつもりになって行ってしまったのです。
これはどういう事ですか。
信じられない事がここに起こっています。
率先して、人を助ける事を実践して、信仰の証しをするべき立場になる人ではありませんか。
それなのに、この祭司は、見て見ないふりをするというとんでもない行動をとりました。
彼は、シナゴーグで何を語っていたのでしょう。
少なくとも、モーセの十戒は語っていたはずです。
多くの人々に、神の律法を語り、隣人を愛することを語っていたのです。

彼の心は、倒れている人に心を向ける事はなかったのです。
この祭司の心は冷えています。
冷え切っています。
石の心のようです。

そこに二人目の人物が現れました。
レビ人です。
彼も同じように、神に仕えていたのですが、彼も逃げるように行ってしまいました。

最後に彼の前を通ったのは、サマリヤ人でした。
彼は、心からかわいそうに思ったのです。
自分はこの人を助けなければいけない。
彼の心に憐れみの思いが湧き出たのです。

彼は、サマリヤ人を抱えて、介抱して宿屋へ連れて行きました。その晩、彼はどのように彼の傷を介抱したのでしょうか。
彼は着物も剥ぎ取られていたのですから、自分の着物が余分にあったのか、自分のものを分けたのでしょうか。旅の途中ですから、余分なものは持っていなかったことでしょう。
宿屋の主人に頼んで、衣類を分けてもらったのでしょうか。
お金もそんなに多く持っていなかったはずです。
危険な山道を通るのですから、自分も強盗に襲われるかもしれません。
彼は、半死半生な状態でしたから、並み大抵な看病ではなかったことは、容易に想像出来ます。


強盗に襲われた男はユダヤ人です。
祭司もレビ人もユダヤ人です。

サマリヤ人はユダヤ人と話すことも嫌うほど、仲が悪い関係にありました。

当然、サマリヤ人がユダヤ人を助けるなど、考えることも出来ない、そういう民族関係の中で、彼はそういうものと一切関係なく、心を尽くしたのです。

ここに愛があります。

イエス様は、たとえで話しました。
そこには、深い意味が込められています。

『一人の魂に心を注ぐ』とう霊的深みを言っています。
彼の姿を見ると、彼には利害が見えません。
ただ、この人のために尽くしているのです。


愛するみなさん


人間関係で一番見にくいのは、利害関係で動く人です。
自分に特がある。
自分に有利に働く。
自分にとって都合が良い。

そういう心を持っている人は、ひと目で分かります。
損得で動く人間は汚いです。

そういう心は一切捨てることです。

クリスチャンは損と思えることをあえて選ぶ人生を歩む人です。
間違いなく損だと思えることに心を注ぐ。のです。
こういう人生を歩むことは神様の特権です。
喜んで、感謝をして人々のために尽くし、仕えることは素晴らしいことです。
彼は、その模範です。


みなさんは、神様の愛の中に留まる人生を選び取ったのですから、
愛がなければ人生に意味がありません。

ただ、神様に喜ばれる歩みをすることです。

律法学者は答えました。
愛を現わした人は、三人目の人、サマリヤ人です。と。

イエス様は、すぐに答えられました。
「あなたも行って同じようにしなさい。」

今日、この御言葉を聞いているみなさんに、イエス様は言っています。
「あなたも行って同じようにしなさい。」と。

神様を愛し、人々を愛し、愛される関係を築くことは生きている限り、必要なことです。
霊の世界に生きている私たちにとって、当たり前のことです。
これが私たちの生き方そのものです。

アーメンですか。

この良きサマリヤ人のたとえで、イエス様が言っていることは、最も大切なことは、『一人の魂』だということです。
一人の魂に心を傾けることなくして、神様の愛は語れません。

あなたにとって「一人の魂」とは誰ですか。
妻ですか、子供たちですか。
それでよいのです。

家族を大切にしてください。
家族をないがしろにした信仰はありません。
家族を大事にしてください。
イエス様を愛する人生は、家族を大切にする人生を歩めます。

イエス様にとっては、私たちを愛することが、最優先です。
神の御国で、最も最優先なことは、神様と親しく交わり、神様の中にいることです。
御言葉を聞く時、知識として受け取るのではなく、人生の実態となるように祈ることです。

箴言はそのために折に触れ読むことです。
自分を見張るためにです。

箴言16:16〜24
16、知恵を得ることは、黄金を得るよりもはるかにまさる。
悟りを得ることは銀よりも望ましい。
17、直ぐな者の大路は悪から離れている。
自分の命を守る者は自分の道を監視する。
18、高ぶりは破滅に先立ち、
心の高慢は倒れに先立つ。
19、へりくだって、貧しい者と共にいるのは、
高ぶる者と共にいて、
分捕り物を分けるのにまさる。
20、御言葉に心を留める者は幸いを見つける。
主に依り頼む者は幸いである。
21、心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられる。
そのここちよい言葉は理解を増し加える。
22、思慮を持つ者には命が泉となり、
愚かな者には愚かさが懲らしめとなる。
23、知恵ある者の心はその口をさとし、
その言葉に理解を、増し加える。
24、親切な言葉は蜂蜜。
たましいに甘く、骨をすこやかにする。

私たちの人生は、
知恵ある者として、
悟りある者として、
主に拠り頼む者として、
思慮深い者として歩むことをいつも求め、追求していく信仰であるように願います。

私たちの人生は、神様の計画の中で動いていることを信仰を持って確信してください。
私たちは、神様の栄光を現わすために、私のすべてを捧げる人のなることが人生を素晴らしくする秘訣です。
人生は自分のものではありません。
私たちは、イエス様にすでに買い取られた者です。

買い取られたとは、私の命も含めて、みな主のものです。
主の栄光を現わすために生きるならば、主は、何倍にもして祝福してくださいます。

主の買い取られた者には、主の使命が授けられます。

使命に生きることは、大変なことのように思えますが、使命に生きると、あなたは生き生きとします。
使命は自分を捧げることです。

使命の内容は、イエス様のようになることです。
人生のゴールは、イエス様の似姿になっていくことです。

きっと、この使命は一生涯かかるでしょう。
一生涯かかっても、なお目標としていくのです。

人間はいつか年を取っていきます。
みなさんはまだ若いですから、あまり実感がわかないかも知れませんが、
牧師は間もなく63歳になります。
思い出のほうが沢山になりました。

愛するみなさん。
牧師は、自分の最高の人生はこれからだと思っています。



ハレルヤ!!

結婚して40年になります。
この40年の歩みで得た経験を生かす、最高の人生はこれからだ。と思っています。

困難の多い人生をあえて選んだ歩みをこれからもしていきます。
祝福は、そういう歩み方から来ることを知っているからです。

愛するみなさん

人間が自分の限界を超え、絶望した時、神様の栄光が現れます。
霊的世界が、自分の目の前に現れます。
聖霊様が来られます。
聖霊様のいない人生は、どんな人生なのでしょうか。

賛美がない人生は、どんな人生なのでしょうか。

祈りのない人生は、どんな人生なのでしょうか。

そこのあるのは空しさだけです。


イエス様が歩む道は、常に群衆が押し寄せていて、少しでもイエス様のそばに行こうとしていました。
人々は、飢え渇いていました。

この時代、イスラエルはローマの支配下でした。
いつも監視された生活をしていました。
イエス様の前に来た人々は、飢え渇いていたのです。

すべての始まりには、渇きがあるはずです。
霊的渇きを失うと、枯れてしまいます。
聖霊様は渇く人の所に来るのです。


牧師は渇いています。
聖霊様のすごい臨在がやって来てほしいと、心の底から願っています。
聖霊様は、渇く人たちがいる場所に雨を降らせます。

ホセア書5:3
3、私たちは知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現れ。
大雨のように、私たちの所に来、
後の雨のように、地をうるおされる。


良きサマリヤ人に戻ります。
彼は、誠実な人でした。
心優しい人でした。
勇気がある人でした。
自分を先にしませんでした。


聖霊様は、このような人に臨みます。
彼は、多くのお金を持っていたのでしょうか。
旅に出るのですから、多くのお金を持たなかったはずです。この時代、旅をするということは危険が伴っていました。

それにも関わらず、彼は、自分のお金をサマリヤ人のために使いました。
神様の愛とは、自分を顧みないで、他者のために生きることです。

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、知力を尽くして主を愛するならば、人間は自然にそのような行動を取るのです。
聖霊様が働いて、神は愛であることは実質を持ったものになります。

報いを求めてはいけません。
報いを計算したら、とんでもありません。
計算したら、愚か者です。
私たちは、霊の人です。

アーメン

霊的人生を選び取るならば、油が注がれます。
主が求めておられるのは、肉の思いを捨てて、聖霊様によって生きる者です。
聖霊様によって生き、聞く人生は安定した人生です。
簡単なことでは崩れません。

霊的歩みを追求してください。
霊的世界がもっと見えるように、祈り求めてください。


へブル13:5
5、私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。

ガラテヤ6:8
8、自分の肉のために撒く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために撒く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

アーメン

パウロは、イエス様の声を聞くことによって、人生がひっくり返り、主のために生きる決心をし、使命に生きることを選んだのです。

霊的人生を選ばないと、死んだ人生です。
サタンにだまされないでください。

ただ、主を愛し、人を愛する人生です。
毎日が死んだような生活をしたくありません。
生き生きと生きたいのです。

そのためには、聖霊様の臨在の力に触れることです。
臨在に触れないと、人間は段々力を失っていきます。

これは本当です。

神の時があることをよく知ってください。




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